安土・桃山時代(1573~1603)6

安土・桃山時代(1573~1603)6
あづち・ももやまじだい(1573~1603)6

●豊臣滅亡への発端、方広寺の鐘
国立京都博物館に隣接して、伏見城の遺構を移した豊国神社と俗に大仏殿と呼ばれる方広寺がある。絶頂期の秀吉が、京にも大仏と大仏殿をと築いたのが方広寺。奈良大仏殿の約3倍の規模であったという。しかし、数度の地震などで倒壊。その都度再建された大仏殿も昭和48年に焼失してそのままになっている。現在残るのは、豊臣家滅亡のきっかけとなった大梵鐘だけ。醍醐の花見から5カ月後に秀吉は伏見城で亡くなる。その子豊臣秀頼は、豊臣家の相続人として、大仏殿を完成させるのだが、‘国家安康 君臣豊楽’の銘文から、徳川家康の思惑どおり、大阪夏の陣の口火を切ったのである。

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