安土・桃山時代(1573~1603)4

安土・桃山時代(1573~1603)4
あづち・ももやまじだい(1573~1603)4

●秀吉が改造した京の街
織田信長亡きあと、天下人となった豊臣秀吉は京の街の大規模な都市整備を行った。平安京の町組みに縦の通りを設け、現在に見られるような碁盤の町割りを作ったのである。寺町通は市中に散らばっていた寺を集めたのでその名が残る。また、京の四囲には、洛外、洛中を区分する「御土居」と呼ばれる土塁も築かれた。全長5里26町に及び、外敵の侵入に備えるという軍事的、政治的な目的があった。秀吉の定めた新京の中心は聚楽第という城郭風の邸宅、東は堀川、西は千本、北は元誓願寺、南は下立売通で囲まれた壮大な居城であったが、わずか8年ほどで秀吉自らが取り壊している。建物の多くは伏見城に移されたという。現在は、千本中立売通の東、正親小学校の東北角に「此付近聚楽第址」の石碑が残る。

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