安土・桃山時代(1573~1603)2

安土・桃山時代(1573~1603)2
あづち・ももやまじだい(1573~1603)2

●歴史を変えた本能寺の変
天才的な指導者といわれる織田信長は、鉄砲隊の使用やキリスト教の布教を許すなど世界的視野にたって物事を見ていた人物。しかしのちに復興を促したとはいえ、比叡山の焼き討ち、長島一向一揆の虐殺など、何万人もの人間を平気で殺したのも彼であった。信長が長生きしていたら秀吉、家康なども出る幕はなく、日本の歴史も大きく変わっていたといわれる。だが「敵は本能寺にあり!」。信長は本能寺の変でこの世を去る。本能寺は、京都市役所の南、寺町御池を下がった所にある。東の河原町通に面して通用門があり「織田信長公御廟所」の石碑が立つ。本堂背後に織田信長、信忠父子の供養塔があるが、明智光秀が信長を攻めた本能寺はもともとは油小路通蛸薬師にあった。東西150メートル、南北300メートルという広大な敷地をもつ城郭風の寺院であったという。本能小学校の東北角に、「此付近本能寺址」と刻まれた石標が残る。

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