千利休

千利休
せんのりきゅう

「千利休」は堺の商人出身です。室町時代後半から堺の商人たちは「納屋衆(なやしゅう)」と呼ばれる旦那衆の集まりを中心に「茶の湯」が流行していました。商人たちの商談の場であり、コミュニケーションの場でもあったのです。「村田珠光(じゅこう・しゅこう)」、「武野紹?(たけのじょうおう)」と続いた茶の湯の系譜を継ぎ「茶道」として大成した功労者として知られています。織田信長や豊臣秀吉にも茶道頭(さどうがしら)として仕え、最後は秀吉に切腹を命じられますが、茶の湯の巨匠が残した功績は大きく、今も茶人たちには特別な畏敬の対象となっている人物です。当時、茶の湯に唐物が珍重されていた風潮をあらためようと、瓦職人の「長次郎」に国産の焼き物を焼かせました。これが「樂焼(らくやき)」の始まりです。また、床の大平壁(おおひらかべ)に花入れを掛けることを始めたのは、床の壁を土壁に変えた利休のアイデアでした。利休によって、花は床飾りの主役を演じることになったのです。また「侘び」の精神を高め、草庵風茶室の極地ともいうべき茶室を作りました。今に残る国宝「待庵(たいあん)」です。この待庵のモデルになったのが、淀川に浮かぶ漁師の舟とも、朝鮮半島にある民家であったとも伝わります。

「京の用語集」一覧に戻る