松永貞徳と「雪月花の庭」

松永貞徳と「雪月花の庭」
まつながていとくと「せつげつかのにわ」

松永貞徳(ていとく、1571-1654)は俳諧の先駆者として有名ですが、もともとは歌人です。俳句を吟ずることが、歌の修錬になると考え、やがて俳諧の方で名を高めていきます。京で生まれ、連歌を里村紹巴(さとむらじょうは)に学び、歌を細川幽斎(忠興の父)に学んだとされます。「俳諧」はもともと「連歌」の一つのパーツだったのですが、これを独立させたのが松永貞徳でした。連歌一筋の人たちには面白くなかったでしょうが、これが時代の風潮にあったのでしょう。松尾芭蕉も最初は、この松永貞徳が興した「貞門流」の俳諧を学んでいます。しかし、芭蕉は後にライバル勢力となる西山総因が興した「談林風」に入っていき、独自の境地に達して「蕉風」という新しい一派を成し、俳聖と呼ばれるようになります。さて、松永貞徳に話を戻します。言い伝えによりますと彼が作庭したといわれる「雪月花の庭」が京にありました。現在もその内の2庭が残っています。貞徳は寺町二条、清水、北野(一説には祇園)、に同時に庭園を造ったとされ、寺町二条の妙満寺を「雪の庭」、清水を「月の庭」・北野を「花の庭」(現存せず)と称し、それぞれが「成就院(じょうじゅいん)」という塔頭にあったことから成就院「雪・月・花の三名庭」、あるいは「雪月花の庭」と並び称されています。現在、妙満寺の「雪の庭」は岩倉に遷った際、妙満寺塔頭の「成就院」から本坊に移されました。

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