雪舟と狩野元信
雪舟と狩野元信
せっしゅうとかのうもとのぶ
「雪舟(せっしゅう)」と「狩野元信(かのうもとのぶ)」、2人は絵師です。絵画と庭園、一見お門違いのようにも思えますが、敷地をキャンパスに見立て、石や植栽を絵具と見立てれば、相通じるものがあるようにも思えます。雪舟は美作(みまさか、岡山県)の生まれで、京の都に出て相国寺(しょうこくじ)の周文(しゅうぶん)に画技を習ったと言われています。もともと絵筆には興味があったのでしょう。小僧時代、いたずらが過ぎて、柱に縛られ、涙を足の指でなぞってねずみの絵を描いたというエピソードが残るくらいですから。東福寺で修行をした後、南宋(中国)に渡り、本場の水墨画を吸収しました。晩年は周防(すおう)に移り住み大内氏の庇護(ひご)のもと画業に専念しました。その雪舟が作庭したといわれる庭が、修行時代を過ごした東福寺の塔頭「芬陀院(ふんだいん)」に残ります。また、雪舟と同時代を生きた絵師「狩野正信」の跡取り「狩野元信」が作庭したと伝わる庭園が妙心寺の塔頭「退蔵院」に残され、名勝史跡に指定されています。