橘俊綱と「作庭記」
橘俊綱と「作庭記」
たちばなのとしつなと「さくていき」
日本最古の庭園解説本あるいは秘伝の書ともいえる「作庭記(さくていき)」。平安時代の中期に書かれ、原本は失われていますが、現存する最古の写本「谷村家本」によりますともともとは前田家に伝わったものだとされています。図や挿絵など画像の類は一切無く、文字だけで庭園の奥義を伝えようとするこの書の作者はいったい誰なのか? 論議を呼ぶところであります。江戸時代に書かれた「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」では、その筆者が「後京極良経(ごきょうごくよしつね)」とされていますが、さまざまな研究が進むにつれ、最近では「橘俊綱(たちばなのとしつな)」がその作者と目されています。この方は「橘」という姓ですが、「藤原氏」の出身で、あの頼通(よりみち)の息子です。父、頼通の受け継いだ宇治殿(後の平等院)を前に、宇治川を挟んで、伏見側の対岸に自分の邸宅を建てたことからも「伏見長者」と呼ばれていました。父が別荘を寺にしたのと同じように、自分の邸宅を即成就院(そくじょうじゅいん)という寺にしました。この寺院が移転を繰り返し、現在、泉涌寺の塔頭となっている即成院(そくじょういん)のルーツです。また平安時代の庭園関係の書といいますと「慶滋保胤(よししげのやすたね)」と「池亭記」も庭の本と思われるかもしれませんが、こちらは庭園関係の内容ではなく隠居の身で平安京の遷り変わりを綴った書です。