庭園略史
庭園略史
ていえんりゃくし
まず登場したのは「池泉庭園」です。遠く飛鳥時代の蘇我馬子(そがのうまこ)など蘇我一族の屋敷跡(嶋の館跡)に、その原型を見てとれることができます。百済(くだら)からの渡来人が作庭したとされています。奈良時代には朝廷や有力豪族の屋敷に、平安時代には貴族の邸宅に遣水(やりみず)が流れ、池を造り、その上で舟を浮かべて客人をもてなしたことから発展したとされていますが、平安時代の中ごろからの末法思想のまんえんと共に、「浄土式庭園」へと発展していきます。つまり池を浄土(仏の国)の池と見立て、そのほとりに仏を安置する仏堂を建てたのです。鎌倉時代になりますと、禅宗の広がりとともに「枯山水」が生まれ、室町時代には禅宗の発展と共に「枯山水」が大いに流行し、桃山時代になりますと、室町時代末から徐々に確立されてきた茶道と共に「露地(ろじ=茶庭)」が造られ始め、江戸時代以降諸流の茶道の発展と共に多数造られるようになりました。明治になりますと、それまで力を持っていた武家から政財界の有力な人物たちが自らの好みを反映した個性的な庭園を造るようになります。