詳細情報・写真

俊寛山荘跡(鹿ヶ谷)

六波羅界隈

所在地/エリア

左京区鹿ケ谷御所ノ段町

説明文

平安末期、僧・俊寛らが平家の横暴に憤慨し、平氏を滅ぼそうと秘密会議を行った山荘跡。そのためこの付近は談合谷ともいわれる。多田行綱の密告により計画が発覚、俊寛は鬼界ヶ島に流されて死亡。その悲劇は能や歌舞伎でも語られている。現在は、左京区鹿ケ谷御所ノ段町霊鑑寺横に「此奥俊寛山荘地」の石碑がある。


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