1118年(元永元年) | 1歳 | 平忠盛の嫡子(長男)として生まれる。 |
1120年(保安元年) | 3歳 | 清盛の生母死去。 |
1129年(大治4年) | 12歳 | 従五位下に任ぜられる。 |
1132年(長承元年) | 15歳 | 父・忠盛が武士として初めて昇殿を許される。 |
1135年(保延元年) | 18歳 | 父・忠盛の西国海賊追討の恩賞の譲りで従四位下を任ぜられる。 |
1137年(保延3年) | 20歳 | 父・忠盛が熊野本宮を造営した功により、清盛は肥後守を任ぜられる。 |
1138年(保延4年) | 21歳 | これより以前、高階基章(たかしなもとあき)の娘と結婚するが死別。 その後、平時子と再婚。 |
1146年(久安2年) | 29歳 | 安芸守を任せられ、瀬戸内の制海権を得る。 |
1147年(久安3年) | 30歳 | 祇園社で闘乱事件を起こす。 |
1153年(仁平3年) | 36歳 | 父・忠盛死去し、平氏の棟梁を継ぐ。 |
1156年(保元元年) | 39歳 | 保元の乱 勃発 後白河天皇側につき源義朝とともに源為義、平忠正らを討つ。勲功賞で播磨守を任じられる。 |
1159年(平治元年) | 42歳 | 平治の乱 勃発 源義朝と戦い勝利。武士の王となる。 |
1160年(永暦元年) | 43歳 | 後白河上皇に命じられ、新熊野神社を造営。 |
1161年(応保元年) | 44歳 | 中納言に任ぜられる。後白河上皇に嫁いだ妻の妹・滋子が、皇子(高倉天皇)を生む。 |
1165年(永万元年) | 48歳 | 二条天皇、崩御。 |
1167年(仁安2年) | 50歳 | 太政大臣を任じられるが、3か月で辞任。 |
1168年(仁安3年) | 51歳 | 熱病に苦しめられる。その後、出家する。 厳島神社を大規模に造営する。 |
1169年(仁安4年) | 52歳 | 福原(現・神戸)に別荘を造営し、住まいとする。 |
1170年(嘉応2年) | 53歳 | 後白河法皇を福原に迎え、中国・宋の特使と面会する。 |
1173年(承安3年) | 56歳 | 大輪田泊に人工島・経が島竣工。 |
1177年(治承元年) | 60歳 | 鹿ヶ谷の陰謀 発覚 平家に対立する院近臣を一掃し、後白河法皇との対立が深刻化。 |
1179年(治承3年) | 62歳 | 長男・重盛死去。 清盛、後白河法皇を幽閉、院政を停止する。 |
1180年(治承4年) | 63歳 | 京都から福原への遷都を断行するが、6か月で還都する。 源頼朝が伊豆で挙兵。富士川の戦いで平家軍敗走。 |
1181年(治承5年) | 64歳 | 熱病に倒れ死去。 |