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駒札・歌碑

妙光寺

妙光寺

 妙光寺花山院師(かさのいんもろ)継(つぐ)が長子忠(ただ)季(とし)の夭折を悼み、別業を寺となし、弘安8年(1285)法(ほっ)燈(とう)国師(こくし)を開山に迎えた。国師は入宋して無門彗(むもんえ)開(かい)禅師(ぜんじ)の法を継ぎ、味噌醤油の醸法をもたらした。また、本朝普化宗の祖でもある。

 建武、嘉吉の二度、三種の神器が奉安され、神器の間がある。亀山、後醍醐、後村上の三朝勅願の寺で南朝と縁が深い。至徳3年(1386)十刹の一つとなる。応仁の乱後は荒廃したが、臨済宗建仁寺派となり、寛永16年(1639)中輿開山三江紹(さんこうしょう)益(えき)和尚の下で豪商打它公軌(うだきんのり)が再興した。万冶3年(1660)には後水尾院の御幸があった。内壁に印金を総貼りした歌聖堂は世に印金堂として知られ、与謝蕪村が句を残している。

 維新の際に勤皇の志士の密議の場所となり、天章和尚の工作が明治政府成立の原動力となった。俵屋宗達の「風神・雷神図屏風」はもと当寺にあり、文政期に建仁寺に移された。山内には陶工野々村仁清(ののむらにんせい)の墓がある。右京区宇多野上ノ谷町

基本情報

正式名称 妙光寺
住所・所在地 宇多野上ノ谷町20

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