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駒札・歌碑

瑠璃光院

瑠璃光院

ここ「八瀬」は「矢背」とも記されるように,壬申(じんしん)の乱(六七二)で背に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(おうじ)(天武(てんむ)天皇)が「八瀬のかま(竈)風呂」で傷を癒したことから,平安貴族や武家の時代を通じて「やすらぎ」の郷として長く愛されてきた。
 この地には,当初,明治に建てられた別荘があり,三条(さんじょう)実(さね)美(とみ)はこれを「喜(き)鶴亭(かくてい)」と名づけ,直筆の命名額が当院に残されている。「喜(き)鶴亭(かくてい)」は茶室名として現在も受け継がれている。
 その後,昭和初期にかけて,一万二千坪の敷地に東山を借景とした築庭と延べ二百四十坪に及ぶ数寄屋造りに大改築された。建築にあたった棟梁は,京数寄屋造りの名人と称された 中村外二(なかむらそとじ),築庭は,佐野(さの)藤(とう)右(え)衛門(もん)一派の作と伝えられている。
その後現在まで,日本情緒あふれる名建築・名庭として著名人をはじめ多くの人々に親しまれ,近年では囲碁本因坊や将棋名人戦の舞台にもなったことが知られている。
 山門を入ると,数十種類のもみじや苔,数百本の馬酔木(あせび),比叡山の伏流水が,主庭「山(やま)露(ろ)路(じ)の庭」,「瑠璃の庭」,「臥(が)龍(りょう)の庭」を四季折々の趣で彩っている。                                
京都市

基本情報

正式名称 瑠璃光院
よみがな るりこういん
住所・所在地 上高野東山55番地

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