「中世婦人列」&「城南流鏑馬列」

「中世婦人列」&「城南流鏑馬列」

「中世婦人列」で侍女を連れて颯爽と歩くのは「淀君」です。父は浅井長政、母は信長の妹「お市の方」。2度の落城を経験した後、豊臣秀吉の側室となり秀頼を生みます。

秀吉の没後は秀頼を擁して大坂城で「豊臣家」を盛りたてましたが、大坂夏の陣で3度目の落城の折自刃。また「静御前(しずかごぜん)」は源義経の側室でした。義経と吉野で別れた後、捕えられて鎌倉に送られ、源頼朝・政子の前で義経を慕う内容の舞を見せました。

藤原為家の室(妻)は出家後「阿仏尼(あぶつに)」と呼ばれました。文学史上「十六夜(いざよい)日記」の作者としても知られています。また「城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ)」は、鎌倉時代に「後鳥羽上皇」が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿10余国の武士を召集して行ったことに由来しています。打倒鎌倉幕府を計画した後鳥羽上皇はこの流鏑馬を隠れ蓑に武士を大勢集め、挙兵に及びました。

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