流鏑馬

流鏑馬
やぶさめ

現在でも鎌倉など各地で勇壮に催される「流鏑馬(やぶさめ)」。京都でも後鳥羽上皇が催した城南宮(じょうなんぐう)の流鏑馬が有名ですが、葵祭の露払い的な行事である「流鏑馬」は5月3日、下鴨神社で実施されます。境内の糺(ただす)の森で、馬を走らせ、馬上から3本の矢を放つのは小笠原流一門の人たちです。

小笠原流の初代「小笠原長清(ながきよ)」は高倉天皇によって、その姓を与られたといわれています。「源頼朝(みなもとのよりとも)」の弓術師範を務め、その息子「長経(ながつね)」も「源実朝(さねとも)」に弓術の手ほどきをしています。長経の2人の息子のうち、長男の「長忠(ながただ)」は惣領家を守りながら弓馬術礼法を継ぎ、弟「清経(きよつね)」の家系とよく助け合って幕府に御家人として仕えました、両家七代目の「貞宗(さだむね)」と「常興(つねおき)」の時、共に後醍醐天皇に仕え、その全容を「修身論」「体用論」という書物にまとめました。これが小笠原弓馬術礼法のベースになっています。

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