葵祭の歴史

葵祭の歴史
あおいまつりのれきし

都が平安京に遷される250年前のこと、欽明(きんめい)天皇(540-571)といいますから、聖徳太子のお祖父さんが天皇だったころ、風雨がなかなか収まらず、飢饉(ききん)や疫病に見まわれ、民は苦しみました。朝廷でその原因を占ったところ、山城の国にいらっしゃる賀茂の神の怒りと分かり、4月吉日に天皇が勅使を遣わして、馬に鈴をつけ、人に猪の頭を被せて走らせ、祭りを行い、神をなだめたところ、ようやく風も雨も治まり、それ以来この祭りを行ったのが賀茂祭(葵祭)の起源であると伝えられています。
平安時代には隆盛を極め、『源氏物語』など数々の文学作品にも登場します。その後次第に衰退し、応仁の乱以降、長い間中断しましたが、江戸時代の元禄年間に再び復活しました。明治時代にもやはりしばらく中断しましたが、岩倉具視(ともみ)などの尽力でやがて復興。太平洋戦争の途中から戦後まで中断しますが、昭和28年に復興、その3年後には雅な女人列も登場しました。

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