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源義経産湯の遺跡碑

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源義経産湯の遺跡碑

所在地/エリア

京都市北区紫竹牛若町

説明文

常盤御前は源義朝の側室となり、義朝の別邸があった紫竹の地で今若丸(後の阿野全成)、乙若丸(後の義円)、牛若丸(後の源義経)を産んだ。牛若丸が誕生した時に、ここにあった井戸から汲んだ水を産湯に使ったとされる。江戸時代にはここに大徳寺の塔頭・大源庵があったが後に廃寺となり、大正14年(1925)の区画整理で井戸が取り壊される際にこの由緒を伝えるために碑が建てられた。


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