京都市中京区三条麩屋町東入北側
幼少の頃、三条京極界隈に住んでいた弁慶が熱愛したと伝えられる石。弁慶は源義経とともに奥州高舘で最期を迎えるが、彼の死後この石はその高舘に移された。ある日、石が「三条京極に行きたい」と声を発した後、高舘で熱病が流行りはじめたので人々は弁慶の祟りだと恐れ、三条京極寺に送った。その後、新京極の誓願寺万丈の庭に移され、明治26年(1893)にはこの町の民家に戻り、昭和4年からは、三条通り沿いの現在の場所に移された。「この石をなでると、弁慶のように男の子は力持ちになる」と言い伝えられている。
弁慶石の生い立ちについては他に「弁慶が比叡山から投げた石」「衣川の合戦で立ち往生した弁慶がこの石になった」など様々な説がある。