中京区姉小路通烏丸東入南側
平安京内にあった白河法皇の院御所。院政時代における政治的文化的中心地のひとつ。元々は播磨守・藤原家保の所有であったが、法皇が土地を取得し殿舎を造営、院の御所とした。法皇が崩御した後は、待賢門院が相続。平治元(1159)年12月、かねてから清盛の出世に不満を持っていた源義朝が藤原信頼と手を組んで三条東殿に襲撃をかけて火を放った。これを機に平治の乱が勃発。この襲撃の様子は「平治物語絵巻」にも描かれている。