京都市左京区大原草生町(寂光院内)
平家が滅亡した後、建礼門院は寂光院の側の草庵に隠棲し、亡くなるまで平家の菩提を弔った。後白河法皇がこの庵を訪れる話が『平家物語』の「大原御幸」に描かれている。草々が生い茂り、屋根を葺いた杉の皮の隙間から雨や露や月の光までも漏れ落ちるような侘しい庵だった。一室に「来迎の三尊」が安置され、中央の阿弥陀如来の御手には浄土へ導く五色の糸がかけられていた。建礼門院は臨終に際し、侍女である平重衡の妻・大納言佐局と藤原信西の娘・阿波内侍とに付き添われ、五色の糸を持って念仏を唱えこの世を去る悲しさに泣き叫んだ。念仏の声が弱まると西の空に紫雲がたなびき、芳しい香りが満ち、来迎の音楽が聞こえたと『平家物語』は伝えている。