写真協力:横山健蔵
東山区三十三間堂廻り町657
通称「三十三間堂」で親しまれているが、正式名は、蓮華王院。後白河法皇が平清盛の資材協力を得て、院の御所とした法住寺殿の中に創建したのが始まり。その後、お堂は市中からの火災により焼失し、現存の建物は、鎌倉期に再建されたもの。堂内陣の柱間の数が33あることから、三十三間堂と呼ばれるようになった。朱塗りの外装で南北に細長く、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られていたといい、今もわずかにその名残を停めている。