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悲田院

悲田院

泉涌寺(真言宗泉涌寺派総本山)の塔頭である。
身寄りのない老人や貧しい人、親のない子ごもを収容する福祉施設である悲田院は、難波京や平城京内に設けられ、平安京でも東西2カ所の悲田院が設けられた。
寺院としての悲田院と平安京の悲田院には不明なところもあるが、寺伝によると、鎌倉時代の延慶元年(1308)、無人如導により安居院(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれた。
後花園天皇(在位1428~1464)は当寺を勅願寺とし、これより橙の住職は天皇の綸旨を賜り、紫衣参内が許された。また同天皇崩御の際には当院で葬儀が行われた。
兵乱により衰微するが、正保2年(1645)、如周恵公が高槻城主永井直清の帰依により、この地に移し再考したのが現在の寺域である。幕末までは高槻藩の庇護のもと大いに栄えた。
本堂は再興時の建物で、本尊の阿弥陀如来立像のほか、快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像が祀られ、襖絵は土佐光起・光成親子の力作である。毘沙門堂の毘沙門天は「泉山七福神」の一つとして信仰を集めている。また、煎茶道「東仙流」の総司所として煎茶道の普及に努めている。 京都市

基本情報

正式名称 悲田院
よみがな ひでんいん

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