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禅居庵

摩利支天堂

摩利支天堂

建仁寺第23世、清拙正澄(せいせつしょうちょう)(1274-1339)が晩年退隠された塔頭寺院。小笠原貞宗が元弘年中に創建する。禅師は中国福建省福州に生まれ、月潭紹円禅師に就いて出家後、浄慈寺、霊隠寺、育王寺を辺参、愚極智慧禅師の法を嗣ぐ。また清規を制定し衆寮を造営、叢林の風紀を粛正する。
嘉歴元年(1326)禅師の名声を聞いた海東の檀信が師を日本に招請するに応じ翌年来朝、上京後北条高時に迎えられ鎌倉建長寺、浄智寺、円覚寺に住山。元弘3年(1333)後醍醐天皇の招請により京都建仁寺に住し、のち南禅寺にも住し再び帰山後当庵に退居する。暦応2年(1339)正月17日自ら設けた「百丈忌」の当日、当庵にて遷化。世壽66歳。大鑑禅師と諡(おくりな)される。
当庵鎮守堂安置秘仏の「摩利支天像」は師が来朝に際して請来したもの。(毎年10月20の大祭において秘仏摩利支天が御開帳される)

※通常非公開

■摩利支天堂(禅居庵は非公開だが、境内・摩利支天堂は参拝自由)
禅居庵の境内にあり、開山大鑑禅師が中国より請来した摩利支天を祀る。「摩利支」はサンスクリット語「Marici(マリーチ)」の音写で、威光、陽炎が神格化した古代インドの女神。
「仏説摩利支天経」によると、「天女あり摩利支と名づく。大いなる神通自在の力をもつ。常に日月天の前を行く。日天・月天は彼を見ること能わず。彼は能く日を見る…」とあり、実態の無い陽炎は捕らえられ害されることがなく、その威光から戦国の武将たちにその信仰が広まった。現在では三面六臂で七頭の猪に坐すお姿から、開運・勝利の利益、特に亥年生まれの人々には守り本尊として信仰されている。
堂宇は天文の兵火で焼かれ、同16年(1547)織田信長の父、信秀が再建、のち元禄、享保、安政の年に整備改修が行われ、近年では明治8年、平成7年に屋根部分の大改修が加えられ今日に至っている。京都府指定文化財。

基本情報

正式名称 禅居庵
よみがな ぜんきょあん
通称名称 -
よみがな -
住所・所在地 京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町146
アクセス 市バス「四条京阪南座前」または「東山安井」または「清水道」下車、徒歩約7分
京阪電車「祇園四条」駅下車、徒歩7分
阪急電車「京都河原町」駅下車、徒歩10分
開催日時 -
営業時間 9:00~17:00
定休日 無休
TEL 075-561-5556
ホームページ zenkyoan.jp

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