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二条城~壬生界わい

二条城~壬生界わい

条城を中心とした堀川通付近は、京都所司代、東西の奉行所、各藩邸などが集まる官庁街だった。
六角獄舎は六角通にあった牢屋敷。禁門の変の大火が獄舎にも及びそうになり、過激な尊攘派の囚人が野に出ることを恐れた町奉行は、未決囚を含めた37人を斬罪してしまう。その中には筑前の勤皇志士・平野国臣もいた。
武信稲荷神社は六角獄舎の北側にある。境内に市の天然記念物である樹齢850年の榎(エノキ)があり、ここで龍馬とお龍が逢っていたとの伝説がある。
壬生は、志士たちと激しく対立し彼ら同様時代の渦に巻き込まれていった若者たち、新選組の本拠地だった。文久3年(1863)2月に入洛したのち2年間、八木邸、前川邸に分宿し、壬生屯所とした。芹沢鴨の殺害をはじめ、ここで多くの血なまぐさい事件が起きた。やがて、敗走する彼らの運命を思うと、胸に迫るものがある。

全体地図
  1. 地下鉄東西線
    「二条城前」1番出口
  2. 約2分
  3. 二条城
  4. 約8分
  5. 京都所司代跡碑
  6. 約8分
  7. 福井藩邸跡碑
  8. 約12分
  9. 東町奉行所跡碑
  10. 約5分
  11. 西町奉行所跡碑
  12. 約15分
  13. 平野國臣外数十名終焉之地碑(六角獄舎跡)
  14. 約12分
  15. 旧前川邸
  16. 約1分
  17. 八木邸
  18. すぐ
  19. 壬生寺
  20. 約2分
  21. 市バス「壬生寺道」

二条城

二条城
  • 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

慶応3年(1867)10月14日、二条城二の丸御殿の大広間で、15代将軍・慶喜が大政奉還を奏上した。二条城は家康が造営した徳川の城。狩野(かのう)派による障壁画など、桃山美術の粋を集める。

京都所司代跡碑

京都所司代跡碑
  • 京都市上京区猪熊通丸太町下ル藁屋町

朝廷、近畿・四国の大名の監視、京都諸役人・町方の統率を担う重職。3万石以上の譜代大名から任命された。二条城北一帯の広大な敷地に上屋敷、堀川屋敷、千本屋敷などがあった。現在は待賢小学校に碑が立つ。

福井藩邸跡碑

福井藩邸跡碑
  • 京都市中京区堀川通二条下ル土橋町

越前福井藩は、徳川家康の子・結城(松平)秀康を祖とする松平氏が治めた。藩邸は現在の京都国際ホテルの辺りにあり、天保2年(1831)の京都絵図に描かれている。藩邸はいわば藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰めていた。幕末の藩主・松平慶永(春嶽)は、橋本左内を登用し、肥後熊本藩から横井小楠を招聘して藩政改革を行った。安政の大獄で隠居の処分を受けたが井伊直弼の死後、幕府の政事総裁職に就任。脱藩した龍馬に会い小楠や勝海舟を紹介したという。また、神戸海軍操練所開設の際には、金策に訪れた龍馬に5000両(1000両とも)という大金を貸し付けた。

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東町奉行所跡碑

東町奉行所跡碑
  • 京都市中京区押小路通神泉苑西入職司町

京都町奉行所は、奉行の下に与力、同心を配し、京都の市政一般―行政、司法、警察全般を担当し、畿内幕府領の租税の徴収や寺社領の訴訟処理も行った幕府の役所。町奉行所は東西に分けられ、隔月交代で任務を担当した。東西それぞれ、与力20騎、同心50人と小規模だったため、各町の自治組織を利用して任務にあたった。東町奉行所跡碑は地下鉄東西線・二条駅の近くにあり、もとは京都代官奉行・五味備前守屋敷だったという。

西町奉行所跡碑

西町奉行所跡碑
  • 京都市中京区千本通押小路上ル小堀町

京都町奉行所は、奉行の下に与力、同心を配し、京都の市政一般―行政、司法、警察全般を担当し、畿内幕府領の租税の徴収や寺社領の訴訟処理も行った幕府の役所。町奉行所は東西に分けられ、隔月交代で任務を担当した。東西それぞれ、与力20騎、同心50人と小規模だったため、各町の自治組織を利用して任務にあたった。西町奉行所跡碑は地下鉄東西線二条駅すぐの所に立つ。

平野國臣外数十名終焉之地碑(六角獄舎跡)

平野國臣外数十名終焉之地碑(六角獄舎跡)
  • 京都市中京区六角通神泉苑西入因幡町

六角獄舎は六角通にあった牢屋敷。平安時代の左獄右獄を前身とし、移転を繰り返し宝永5年(1708)の大火でこの地に移された。幕末には多くの勤皇の志士がここに繋がれた。元治元年(1864)の蛤御門の変で起こった大火が獄舎にも及びそうになり、過激な尊攘派の囚人が野に出ることを恐れた町奉行所は、未決囚を含めた33人(37人とも)の囚人を斬罪してしまう。その中には筑前福岡出身の勤皇歌人・平野國臣もいた。天誅組の蜂起に呼応して生野で挙兵した平野は執念の人。福岡での投獄中、筆墨を禁じられ、こよりを作りそれを飯粒で和紙に貼って文字を表し本を書いたことでも知られる。

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旧前川邸

旧前川邸
  • 京都市中京区壬生賀陽御所町49

新選組の壬生屯所。池田屋事件の発端となった古高俊太郎への拷問は、ここの土蔵で行われた。島原の遊女・明里と格子越しに別れを惜しんだ後、山南(やまなみ)敬助が切腹したといわれるのもこの邸だ。内部は非公開。土・日・祝日に土間で新選組グッズを販売。

八木邸

八木邸
  • 京都市中京区壬生梛ノ宮町24

新選組の壬生屯所。芹沢鴨一派の横暴な振る舞いに土方歳三は暗殺を計画。島原の角屋で宴会後、八木邸に帰った芹沢を、沖田総司らと斬り捨てる。同邸の鴨居には今もその時の刀傷が残る。

壬生寺

壬生寺
  • 京都市中京区壬生梛ノ宮町31

700年の伝統をもつ壬生狂言で有名な寺院。境内に「壬生塚」と呼ばれる新選組隊士の墓があるほか、近藤勇の胸像と遺髪塔、芹沢鴨の墓などもある。境内は武芸の訓練場に使われたほか、新選組による相撲の興行も行われた。

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