日向大神宮

当神宮は、顕宗(けんぞう)天皇の御代(485~487年頃)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の峯の神蹟を移して創建されたと伝えられています。
内宮(ないく)は天(あま)照(てらす)大御神(おおみかみ)と宗像(むなかた)三女(さんじょ)神(しん)を、外宮(げく)は天(あま)津(つ)彦(ひこ)火(ほ)瓊(に)々(に)杵(ぎの)尊(みこと)と天之御(あまの)中主(なかぬしの)神(かみ)をご祭神とし、境内各社には両宮と関係の深い神々が祀られています。
この「日の神」鎮座の神体山を、天智天皇は「日山(かみやま)」と名付けられ、後に日(ひの)御山(みやま)や神明山(しんめいやま)と称されています。
平安時代、貞観年間(859~877年頃)に疫病が流行した際、当神宮に勅願(ちょくがん)が行われ、お告げ通りに宮地の清泉の水を万民に与えたところ、たちまちおさまったので、清和天皇は、この泉を「朝日(あさひ)泉(いずみ)」と名づけ、「日向宮」の勅願を賜いました。
応仁の乱の兵火で社殿や古記録は焼失しましたが、松坂村の松井藤左衛門が仮宮を造営して社殿を再建し、慶長年間(1596~1615年頃)に伊勢出身の野呂宗光が霊夢に感じて再興しました。
かつては東海道中の安全祈願や伊勢神宮の代参として、大変にぎわいました。
京都市


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