安祥寺(本堂・観音堂)

江戸時代初期、徳川家康の帰依を受けていた第二十八世座主政遍は、安祥寺衰退の状を上訴し、慶長18年(1613年)に藤原順子皇太后寄進の山林境内地還付の令を受け復興を実現しました。上寺跡に残されていた仏像、什宝等をこの時回復された寺域に移し、観音堂等の主要な建物が建立され現在の伽藍となっています。この観音堂は文化14年(1817年)に建立されました。
本尊十一面観音の造像は、安祥寺開創より古く、伝来の詳細はいまだ不明ですが、奈良時代に遡る巨像として貴重な遺品であり、重要文化財に指定されています。
また、脇仏として広目天(平安時代10世紀)、増長天(嘉永元年(1848年))、持国天(平安時代10世紀),多聞天(平安時代10世紀)の四天王立像が安置されています。
元禄15年(1702年)の『山州名跡誌』には「堂南向本尊十一面観音立像・(中略)・五智如来 安同堂内」とあり、宝暦7年(1757年)に建立された多宝塔(明治39年(1906年)に焼失)の本尊五智如来(国宝・京都国立博物館寄託)も、この場所にあった再建前の御堂に一緒に祀られていたと考えられます。
裏堂には、復興に尽力した徳川家康の像が安置されています。
和讃に
  「けしほどの 願いも叶う 安祥寺
    大悲の御代に 救いまします」と記されています。
京都市

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