白い大文字

白い大文字
しろいだいもんじ

昭和16年に始まった太平洋戦争も、戦局が次第に悪化していった昭和18年。このころは「灯火管制」がしかれていました。「灯火管制」とは夜間の空襲のときに、爆撃目標となることをおそれ、照明が極力目立たないように指導した軍の布告の一つです。「送り火」はその灯火管制により昭和18年は灯されないことが決まりました。しかし、大文字山の地元の国民学校生徒と周辺の一般市民、約2000人が白いシャツを着て、大文字山に登り、火床に沿って並び、早朝のラジオ体操を実施しました。これが白い大文字として当時の新聞にも掲載されました。当時の新聞(毎日新聞)には、「忠魂に捧ぐ浄白の大文字~東山の施火に代わるラジオ体操~」という見出しで登場しています。

時節柄、戦争で無くなった英霊を送るためと添えられていました。特にその年の春に戦死した、山本五十六連合艦隊司令長官、アッツ島で玉砕した戦士たちの初盆に相応しいという記事。翌、昭和19年にもこの白い大文字は続けられました。

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