明智光秀

明智光秀
あけちみつひで

安土桃山期の武将。織田信長に仕え、信長入京後は京都の治世に当たる。備中(岡山県)高松城を攻める豊臣秀吉の援軍を信長に命じられたが、本能寺にいた信長を急襲、自刃させた。これが本能寺の変で、その後の山崎の合戦で秀吉に敗れ、近江(滋賀県)坂本城へ逃れる途中、伏見区小栗栖小坂町の竹薮(通称「明智薮」)で農民に襲われて自刃、最後を遂げたという。東山区梅宮町に「首塚」。また明智薮の北、山科区勧修寺御所内町に「明智光秀之塚」の石碑があり、光秀の「胴塚」と呼ばれている。1528(享禄1)~1582(天正10)

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