狩野探幽

狩野探幽
かのうたんゆう

「狩野探幽(かのうたんゆう、1602-1674)」は赤ん坊のころ、泣いていても絵筆を持たせたら泣きやんだというエピソードを持つ程、幼少からその天才ぶりがうかがえます。天才画家と呼ばれた永徳(えいとく)を祖父に持ち、孝信(たかのぶ)を父とし、10歳で徳川家康と面会し、17歳の時には江戸の鍛冶橋に屋敷を拝領し、京から江戸へと一門挙げての大移動を果たし、狩野派を率いる若きリーダーとして、25歳には二条城二の丸御殿の大量の障壁画群を完成させます。その後日光東照宮・大坂城・名古屋城など次々と幕府の大きな仕事をこなしていきます。探幽の作品は残っているものが多く、そのいくつかを京都の寺院で拝観することが今でも可能です。非公開ではありますが、大徳寺本坊や徳禅寺には水墨画の襖絵が残り、知恩院の三門楼上の天井画も狩野派が描いたとされ、探幽の指揮した可能性が強く残ります。またいつでも拝観できる探幽の大作としては妙心寺法堂の天井画「雲龍図」、通称「八方睨みの龍」が有名ですね。堂内のどこから見ても龍の視線が自分を追いかけてくるようなそんな気分にさせてくれる探幽入魂の作です。これを描いた時には72歳でした。

「京の用語集」一覧に戻る