禅画

禅画
ぜんが

「禅機画」ともいいます。禅宗も仏教ですから、本来は仏画に入るのでしょうが、特に禅僧やその関連の絵が多いので、ジャンル分けしました。まず「達磨図(だるまず)」。達磨太子と呼ばれるように元はインドのある国王の息子です。インドで仏教の教えを広めていましたが、やがて中国のある国の王から招かれて、「仏教を信仰しているとどんな良いことがあるのか?」と問われ、「何も無い!」と言い切りました。見返りを求めて仏教を信仰している国王に落胆したようです。やがて達磨は中国南部に移動する折、大河を前に1枚の芦の葉を川面に浮かべ、その上に乗ってスーッと渡って行きました。このときの様子を描いたのが「芦葉(ろよう)達磨図」。またその後、崇山少林寺(すうざんしょうりんじ)に籠って面壁9年の座禅三昧に入ります。長い間の座禅に足も手も退化してしまったとさえ言われました。このときの様子が達磨さん人形でも有名な姿。もとは絵で描かれていたものが人形化されたようです。また弟子を取らない主義の達磨にどうしても弟子入りしたいとやってきた慧可(えか)。彼は、自分の片腕を臂(ただむき=ひじから手首までの間)のところで切り落としてまでその覚悟の程を見せたといいます。このときの様子が「慧可断臂図(えかだんぴず)」。達磨を祖とする禅宗の僧は、その後さまざまな方が登場し禅画の中で長く人々の心の中に残っていきます。

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