茶室の歴史

茶室の歴史
ちゃしつのれきし

東山殿(現在の慈照寺銀閣寺)の「東求堂(とうぐどう)」から始まった書院での座敷飾り、そして唐物を使った茶の湯が、「足利義政」や「村田珠光(じゅこう・しゅこう)」の間で行われていたという伝説もあり、真偽の程は別としても、4畳半という当時としては比較的小さな空間の中で、既に茶事が行われていたとい可能性があります。「村田珠光」から「武野紹?(たけのじょうおう)」へと「茶の湯」の伝統は受け継がれ、やがて「侘び茶」を旨とする「千利休」によって「草庵茶室」はその成熟期を迎えました。千利休は自らの信条とする侘び茶を表現するため、淀川の漁師の舟をモデルとした草庵茶室の典型を作りました。これが世に名高い「待庵(たいあん)」です。その後、古田織部(ふるたおりべ)を経て小堀遠州(こぼりえんしゅう)へと「茶の湯」の流れは伝えられて行きますが、その過程で再び書院の茶室に戻り、今度は8畳の広さを持つゆったりとした空間へと変わっていきました。

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