夢窓国師

夢窓国師
むそうこくし

夢窓疎石(むそうそせき、1275-1351)は伊勢の出身といわれ、真言や天台の教学を学んだ後、18歳のときに東大寺で戒を授けられ、建仁寺を始め諸国を歴遊して禅の修行を積み、恵林寺(甲斐)や永保寺(美濃)、瑞泉寺(鎌倉)など今でも有名な寺院をいくつも開きました。後醍醐天皇の信任も厚く、足利尊氏・直義兄弟とも親交があり、南北朝の動乱が治まった後は、足利兄弟に対し、戦乱で犠牲になった人のために、諸国に安国寺・利生塔を建てるように進言。また後醍醐天皇の冥福を祈るための寺院建立も勧めました。元との貿易によって建てられたその寺院とは今でも著名な「天龍寺」です。その天龍寺の住持(現在の管長)となり、自らプロデュ-スをしたのが、方丈の北に広がる池泉庭園。池は「曹源地(そげんち)」と呼ばれ、庭そのものの代名詞ともなっています。ほかにも西芳寺庭園など数多くの庭園を自ら手掛けました。また南禅寺の住持を2度も歴任しているため南禅院庭園も国師の作ではないかと目されているが、これは現在のところ確たる証拠が見つかっていません。

「京の用語集」一覧に戻る