狂言作者でもあった井伊直弼

狂言作者でもあった井伊直弼
きょうげんさくしゃでもあったいいなおすけ
古典と呼ばれる狂言の作品は能と違って、その作者はほとんど分かりません。江戸時代の半ばまで上演台本もきちんと整備されていなかったほどで、わずかに言い伝えられたあら筋を頼りに狂言師はその時どきにアドリブなどを交え、口立(くちだ)ての形式で狂言を上演したと言われます。その中で唯一、作者が分かっているのは、彦根藩主で大老まで務めた井伊直弼(いいなおすけ)です。直弼が茶道の奥義を極めていたことは有名ですが、能にも詳しく、とりわけ狂言を好んだといわれます。そして彦根藩のお抱え狂言師だった九世茂山千五郎のために、自ら『狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)』と『鬼ケ宿』という狂言を書きました。安政の大獄や桜田門外の変で知られる井伊直弼像からはおよそかけ離れた話ですが、茂山家では直弼書き下ろしの狂言2曲を今も「家の狂言」として大切に扱っています。ほかに作者名がはっきりしているのは戦後に舞台化された新作狂言。飯沢匡(いいざわただす)の「濯(すす)ぎ川」、木下順二の『彦市ばなし』が有名です。