能は引き算の芸術なり

能は引き算の芸術なり
のうはひきざんのけいじゅつなり
「能は引き算の芸術だ」と言った人がいます。うまい表現ですね。たしかに舞台を見ると、ほかの演劇と違って、客席と舞台を仕切る幕がありません。そして、歌舞伎で見慣れた廻り舞台や大ゼリなどの舞台装置も、豪華な建造物、粋なお座敷、庭園などの大道具もまったく存在せず、裸の舞台に常時あるのは松を描いた「鏡板(かがみいた)」だけです。不要なものはいっさい省いて、シテ方の謡と舞にお客の目を一点集中させ、想像力をかき立ててもらうことに努めたのです。とはいえ、必要最小限の道具は使います。「作り物」と呼ばれる極めて簡素なもの。大は釣鐘から宮殿、草庵、墳墓。それに牛車とか舟や井筒など実に多岐にわたりますが、竹や白木で組んだ枠組に布や織物の裂を巻き付けた程度で、見物はその形状から実物を察します。半面、シテが持つ扇や中啓(ちゅうけい)などには小道具といえないほど贅や趣向をこらしたものが少なくありません。能の世界独特の不可思議な魅力と言えるでしょう。