花道の原型となった橋掛り

花道の原型となった橋掛り
はなみちのげんけいとなったはしがかり
能楽堂の内部の構造を紹介しましょう。まず一般の劇場と違い、能の世界では客席のことを見所(けんしょ)と呼んでいます。能舞台はもともと野外に建てられました。客席は向かい合った母屋にあり、現代のように一つの建物の中に納まったのは、明治以降のことです。今も舞台の上に屋根があるのはその名残とされます。舞台の背景には老松が大きく描かれ、4本の柱に支えられた舞台は京間3間、およそ6メートル四方の空間で能は演じられます。本舞台の後ろを後座といい、笛や鼓の囃子(はやし)方の居場所です。客席から見て、舞台の右側に地謡座(じうたいざ)が設けられ、地謡グループが2列に座ってここで謡の詞章を斉唱します。舞台の後方、左手に長く伸びるのが橋掛(はしがか)りです。花道を客席の中に通した歌舞伎も誕生したころは、この橋掛りを舞台に設けて役者の出入りに使っていました。橋掛りの向こうには5色の布で織った揚幕(あげまく)。その奥に出演者が出番まで控える「鏡の間」があり、囃子方の「お調(しら)べ」もここで奏でているのです。