いけばなの歴史①

いけばなの歴史①
いけばなのれきし①
はるか昔、死者に花を供えたという記録が残されていますが、一般的には仏教の伝来と共に行われた「供花(くげ)」がいけばなの起源といわれています。ただし、それは時節の花を花瓶(けびょう)に挿しただけのもので、形は備わってはいませんでした。花に形が与えられるようになるのは、室町時代になってからのことです。書院造が出来て、座敷に床の間が備え付けられるころ、当時の将軍家に仕えていた同朋衆(どうぼうしゅう)という集団が、さまざまな座敷飾りを担当するようになりました。また、六角堂の僧侶である池坊(いけのぼう)専慶(せんけい)が金瓶に挿した花が京都の人々の評判になったという記録が残されています。当時のいけばなは「たて花(はな)」と呼ばれ、単に美しい花を花瓶に挿しただけのものでした。そうした状況に対し、「瓶に花を挿すことは古くからあったが、それはたださしいけてあるだけだ」と主張して、初めていけばなに理論、思想を唱えたのが池坊専応(せんおう・せんのう)という人物でした。ここにおいて、花に形と思想が備わり、いけばなが成立しました。