宮川町と「京おどり」

宮川町と「京おどり」

「宮川町」にお茶屋の許可が下りたのは、宝暦元年(1751)徳川吉宗が将軍だったころです。「宮川」というのは当時鴨川の四条以南の別名であったという説もあります。また宮川町の「三つ輪の紋」が使われ始めたのは明治の中ごろになってからでした。これは芸妓・舞妓の育成機関である「女紅場(にょこうば)」が府立としてスタートした折りに、「花街」「町」「寺社」の三者が協力して教育施設としたことを記念してとも、また宮川で神輿(みこし)を洗い清めたということから、祇園祭の神幸祭(しんこうさい=7月17日)・還幸祭(かんこうさい=7月24日)の三基の神輿を表しているとも言われています。

「京おどり」は4月の第一日曜から第三日曜までの半月間実施されています。

昭和25年(1950)に始まったこの「京おどり」は若柳流の家元による振付で毎年趣向が凝らされ、フィナーレは「宮川音頭」が芸妓・舞妓総出で登場します。

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