祇園東と「祇園をどり」

祇園東と「祇園をどり」

祇園さん(八坂神社)や清水寺への参詣者で栄えた祇園の花街が「甲部」と「乙部」に別れたのは明治14年(1881)、京都府第三代北垣知事のときのことでした。それ以降、政治家や文人たちの利用も多く、昭和24年には東新地と改称され、昭和30年には「祗園東」と呼ばれるようになりました。祇園東のエリアは、現在の祇園会館西の一角で、江戸時代には膳所(ぜぜ)藩の京屋敷があったと場所であり、明治3年にその屋敷が取り払われた後、多くの茶屋が建ち並び、営業を始めました。そのため地元では「膳所裏(ぜぜうら)」と呼ばれることもあるようです。また、ほかの花街のメインの踊りが春であるのに対し、祇園東の「祇園をどり」は秋の深まる11月です。10日間に渡るこの「祇園をどり」は昭和27年(1952)の初演から祇園会館を舞台に演じられ、「藤間流」の振付による華やかで華麗な舞台内容がポイントです。また最後には恒例の「祇園東小唄」が芸妓・舞妓総出で披露されています。

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