祇園甲部と「都をどり」

祇園甲部と「都をどり」

江戸時代、祇園社(八坂神社)や清水寺に参詣に向かう人たちを相手に茶屋が建ち始めそこで働く女性たちが次第に芸や教養を身に付けて行き、現在の「お茶屋」そして「芸妓」に発展しました。京都の花街の代名詞となっている「祇園」は明治14年までは、現在の甲部も東部も同じ祇園花街でした。その名の由来は祇園社(祇園感神院)から来ています。元をたどれば、お釈迦さんが生きていたころのインドの修行僧の生活共同体です。

また、祇園甲部の春の踊りが「都をどり」です。明治5年(1872)に開かれた京都博覧会の余興として始まりました。祇園の芸舞妓たちによるこの踊りは、オープニングの「都をどりは、ヨーイヤサー♪」という独特のスローテンポな掛け声でよく知られています。初舞台から135年、戦時中に6年間の中断はありましたが、華やかな舞台は連綿と受け継がれ、京都に春の到来を告げてくれます。英語では「チェリー・ダンス」と訳されることが多く、「都をどり」の公演期間がちょうど桜の開花時期にあたることからそう訳されるようです。

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