町家の歴史

町家の歴史
まちやのれきし
平安時代末期に書かれた書物に「まちや」という呼び方は、既に登場しています。当初その形はごく簡単な小屋に近いものであったようですね。
現在の町家の元となるスタイルが確立されたのは、江戸時代半ばのことでした。しかし、その多くは、残念ながら幕末の禁門(蛤御門)の変(1864)で焼失してしまいした。現存する町家のほとんどは、明治から大正時代にかけて再建されたもので、築50年から100年以上のものまであります。
「まちや」と読む場合は本来「町屋」と書き、「職住」の「職」にスポットを当てた場合であり、「町家」は「ちょうか」と呼んで「住」に重きを置いた読み方でした。現在は町家と書いて「まちや」と読みますが、「ちょうか」と呼んでも間違いではありません。また同じように「まちや」を「町屋」と書いても間違いではありません。大事なことは京町家の歴史は職住一体空間の歴史であったということなのです。