疏水公園(東山緑地公園) 一燈園に近い疏水べりには、とても清々しい遊歩道がつくられています。
  志賀直哉旧居跡碑 大正12年から約2年間山科に住んでいた志賀直哉は、ここでの体験をもとに「山科の記憶」「痴情」などの作品を生み出しました。
  五条別れ道標 東海道と渋谷街道への別れ道に立つ道標。西本願寺今熊野観音清水寺などを指す文字が見えます。
  人康親王供養塔 四ノ宮に山荘を営んでいた、仁明天皇第四皇子人康親王の供養塔。徳林庵・地蔵堂の後ろにあります。
  人康親王墓 十禅寺の東北隅にある小円墳。親王は28歳で失明し、出家して山科に隠棲したと伝えられています。
  人康親王御霊社 人康親王を祭神とする小祠。神体は諸羽神社に祀られていて、現在は社殿のみが残っています。
  天智天皇陵 三条通りから御陵への参道が続いています。東経135度48分のラインで奈良飛鳥へとロマンが広がります。
  日時計碑 天智天皇陵の参道入り口にあります。
  名号碑 江戸期の僧・木食正禅は、京都の無常所(人)を葬った場所)を巡って念仏を唱えました。名号碑はその後、木食が供養のために建立した碑の一つです。
  題目碑 京津国道の改修中に発見された法華塔の断片を基壇として、篤志者たちが塔を建てて供養を行ったものです。
  京津国道改良工事紀念碑 京都・大津間の難所とされていた日ノ岡、逢坂山の両峠をはじめ、国道改良工事が昭和8年に竣工。京津間の交通の便は格段に向上しました。礎石には「車石」が再利用されています。
  亀の水 日ノ岡峠の南、旧東海道のやや急な坂道の傍らにあります。石造の亀の口から水がしたたり落ちており、かつて街道を通る旅人の喉を潤したと伝わります。
  蓮如上人御指図の井戸 音羽の里は水が出なかったが、蓮如の指図によって掘ったところ、こんこんと水が湧き出たとの伝説があります。
  皇塚 奈良街道の西側にある円墳跡。一説には桓武天皇陵ともいわれています。
  蓮如上人廟所 蓮如は1499年3月、山科で85歳の生涯を閉じられました。廟所の近くには、山科本願寺の土塁(土居)の一部も残っています。
  遍昭僧正墓 「六歌仙」の一人遍昭僧正の墓は、元慶寺の西南約400メートルの大石道沿いにあります。
  中臣遺跡碑 中臣遺跡は、縄文期から平安期にかけての大規模な複合遺跡です。西金ヶ崎公園内に、発掘成果などを記した碑があります。
  大宅一里塚 奈良街道の西側に残る一里塚。京都市の登録史跡とされています。
  明智光秀塚 小栗栖で竹槍に刺された明智光秀は、家臣に命じて首を切らせ最期を遂げたと伝えられています。
  榧(かや)の木 小町は榧の実で深草の少将が通ってきた日にちを数え、少将が亡くなったあと、その実を植えたと伝えます。隨心院の周辺には、このお話に由来するという榧の老木が数本あります。
  大石良雄隠棲旧址碑 討入り前の一年有余、大石良雄は山科の地に家を新築し、吉良家に対して復習する意思がないふりをして暮らしたといいます。
  藤原胤子小野陵 胤子は醍醐天皇の生母。藤原高藤と宮道弥益の子・列子が結ばれて胤子が生まれたという物語があります。
  藤原定方墓 藤原高藤と宮道列子との間に生まれた二男が藤原定方です。醍醐天皇の外縁であることから、従二位右大臣となり、歌人としても知られています
  宮道列子墓 宮道列子は藤原胤子の生母。醍醐天皇の祖母にあたります。
  小野小町文塚 絶世の美女と伝えられる小町に寄せられた手紙の数々を埋めた塚と伝承されています。
  山科本願寺南殿跡
(光照寺)
(やなしなほんがんじなんでんあと・こうしょうじ)
現在の光照寺の地一帯は、蓮如の隠居所である山科本願寺南殿の跡といわれています。国の史跡に指定されています。
<ご案内>
音羽伊勢宿町(おとわいせじゅくちょう)34 TEL:075-591-5408
  西宗寺
(さいしゅうじ)
蓮如に山科本願寺の土地を寄進した海老名五郎左衛門(えびなごろうざえもん)が創建したと伝えられる浄土真宗本願寺派の寺です。
<ご案内>
西野広見町11
TEL:075-581-2262