墨染寺(ぼくせんじ)

亡き人を慕う桜伝説

美しい墨染桜(すみぞめざくら)が咲くことで知られる墨染寺は「墨染(すみぞめ)」の地名の由来となった寺です。寺伝では寛平(かんぴょう)3年(891)太政大臣藤原基経(もとつね)がこの地に葬られたのを哀悼して、上野岑朝臣(かんつけのみねおあそん)が桜に向かって歌を詠むと、花が薄墨色に染まってしまったといわれています。豊臣秀吉はこの墨染桜の話を聞き、寺領千石を与え、日蓮宗墨染桜寺として再興しました。本堂前にある御手洗鉢は明和(めいわ)5年(1768)年に歌舞伎役者の2代目中村歌右衛門が寄進したもので「墨染井」と呼ばれています。

◎墨染町741 075-642-2675
 京阪「墨染」駅下車西へ徒歩2分

  撞木町(しゅもくちょう)遊郭跡

大石内蔵助遊興の地

撞木(しゅもく)町界わいは、京街道・大津街道への分岐点に近く、古くから人びとの行き来で賑わい、遊廓や芝居小屋、土産物屋が軒を連ねる一大繁華街だったといわれています。現在、郭の入口を示す場所は江戸時代には塞がれていました。井原西鶴の「好色一代男」では主人公の世之介が「どうして入口を塞いだのだろう…」といっています。大石内蔵助も南の門から入りました。

◎撞木町1148
 市バス「伏見インクライン前」下車すぐ

  等泉寺(とうせんじ)

門前に「禁葷酒(きんくんしゅ)」の石標

もとは向島の東泉寺町にありましたが、度かさなる水害のため、現在地に移転。延宝(えんぽう)4年(1676)頓誉円西上人(とんよえんせいしょうにん)によって中興されました。寺伝では天明(てんめい)年間(1781〜89)に浅井長政(ながまさ)の子孫といわれている、薫誉智香尼(くんよちこうに)が再中興して尼寺となり、後に男僧寺院となりました。本尊の阿弥陀如来は恵心僧都(えしんそうず)作と伝えられています。門前にはなまぐさものと酒を禁ずるという意味の「禁葷酒」の字句が刻まれた石標があります。

◎深草大亀谷敦賀町5 075-641-6586
 JR「藤森」駅下車東へ徒歩20分

  八科峠(やしなとうげ)

京都と奈良を結ぶ峠道

八科峠には石碑があり、その脇には車石の碑があります。車石は荷車が通りやすいように敷いた石のレールで、昔は牛車などが上り下りしました。伏見城築城以後、京都から宇治を経由して奈良を結ぶ街道として開け、旅人で賑わいました。八科峠の「八」は多い、「科」は階段状の意味で、急な険しい山道であることからこう呼ばれていました。

◎深草大亀谷敦賀町
 京阪「丹波橋」駅下車 東へ徒歩26分
  

  伏見北堀公園

緑あふれるジョギングコース

かつての伏見城の内堀跡が整備されて、緑あふれる憩いの場所となりました。堀の一角には城内へ水を供給する水道設備があったと考えられています。
伏見桃山城が見える公園では春は桜が美しく、水生植物も多数植えられており、早朝は散歩やジョギングなどを楽しむ人たちの格好の場所。敷地内には北堀公園地域体育館があり、バレーボールや、バドミントンなどができるアリーナ、トレーニングルームなどが有料で利用できます。

◎深草大亀谷五郎太町23 075-601-0700(地域体育館)
 京阪「丹波橋」駅下車 東へ徒歩19分
 ◎開園時間 :午前9時〜午後9時

  即成院(そくじょういん)跡

伏見長者の持仏堂

即成院(即成就院)は、伏見長者と称された橘俊綱(たちばなのとしつな)が営んだ伏見山荘の傍らに建立された持仏堂です。豊臣秀吉の伏見城築城に際して、大亀谷東寺町(現・天理教分教会)に移されました。本尊は恵心(えしん)僧都作の阿弥陀仏坐像で、脇には二十五菩薩があったといわれています。即成院は、明治になって、泉湧寺に移され、塔頭の即成院では秋、二十五菩薩練供養(にじゅうごぼさつねりくよう)が行われます。

◎深草大亀谷東寺町
 JR「藤森」駅下車東へ徒歩3分

  墨染インクライン

琵琶湖疏水の傾斜鉄道

墨染インクラインは、大津市と京都蹴上(けあげ)を結ぶ第一疏水開通に続いて、明治28年(1895)に完成。昭和17年以降は使われなくなり、同34年、国道24号線改築のために廃止されました。水路の高低差15メートル、長さ30メートル弱。淀川・宇治川・琵琶湖を周航する船は、落差のある場所をインクラインに引き上げられて相互に運ばれました。

◎桃山町丹下14
 市バス「伏見インクライン前」下車すぐ